パンの記事を書いていて思い出したことがあったので書いてみる。

この写真は『喜左衛門』という銘のついた井戸茶碗。井戸とは李朝期に作られた茶碗の類系を指す。この喜左衛門井戸は戦国大名や豪商の所有となり現在は国宝だが、元々は朝鮮半島の名もない陶工が普段使いの雑器として作り飛ばした当時の大量生産品。生活のためにスピードで無心に作り飛ばしたがために歪んでいるし、釉薬のかけ損ないやムラもある。そんな意図せずに生み出された景色が利休のような茶人の見立てに叶い国宝にまでなってしまったものだ。

『民藝』の柳宗悦はこの美しさを絶賛し、その対極として楽茶碗を罵っている。楽茶碗とは千家お抱えの陶工が一つ一つ丁寧に、作為的に、詫びた美意識を表現して作られたものであり、わざとらしく、いやらしいというのだ。

思えばボクの美意識というのは若い頃に読んだ柳の思想に大きく影響を受けているようだ。パンに対してもそうだし、家づくりに対しても同様だ。工業的な生産技術の進歩を背景に、建築やプロダクトデザインの世界で「ポストモダン」という思潮がもてはやされた1980年代に美大生であった当時、どうしても本質と表層との乖離に違和感があった。あれから30年、世の中はますますスマートな外観を呈して、本質はますます見えにくくなっている。AIがますます進化した時に柳の言う「眼力」が人間の証明として残されていることを切に願うものである。

広告