ある時期とても有用なモノやコトがグッドタイミングで矢継ぎ早に訪れ、自分でも目が回るような速度で一気に人生行路を走り抜けてしまうといったことがある。「渡りに船」の連続で、周囲の景色も見えぬまま、ふと気づくと、物理的にも、内面的にも、思わず「随分遠くへ来たもんだ」と嘆息せずにはいられない。東京を離れること500キロ、熊野の山村に移住して4年目の心境である。

 TVも新聞も車もなし(車は丸3年経った時点で入手したが)。2人目の子どもは自宅でとり上げ、当然母乳に布オムツ、子供たちは予防接種を一度も受けていない。玄米菜食(といってもそれ程厳格ではなく、たまに天然のシカ、イノシシ、川や海でとった魚介類も食卓に上る)。自然農法で麦米豆野菜を作り、味噌や漬け物、ドブロクに天然酵母パンなど発酵食品をせっせと仕込む。全て自家用だ。

 このように自己紹介すると、非常に驚嘆されるケース、また感動されてしまうケースがままあるのだが、今、冷静に考えると、はっきり言ってこれはかなりエキセントリックな人物像である。

 私も妻も美術大学出身であるから、エキセントリックであることは自他共に重々認識しているが、その認識の仕方が、田舎に住み始めて少しずつ変わって来ているように思う。

 都会の私はこんな風に考える。「人生は芸術作品だ」。ラジカルであろうとすることは、何より自己表現として重要なのである。だから自分の歴史認識や、環境問題や、要するに「世の中狂っている」ということを、コトバでも態度でも常に訴え続けないわけにはいかない。

 それが田舎に来て半年、一年と経つと、だんだんそんなことはどうでもよくなって、ついには他者に向けての発信=表現することを完全に止めてしまった。そしてただ、他人に迷惑をかけず、ねたまずを肝に銘じて、ミミズのように黙々と土を喰っては排泄するのみの毎日だ。

 昨今の熊野ブームの中、改めてこの地のポテンシャルに触れるつもりはないが、古来「癒しの地」とされた神秘ゾーンであるだけに、この辺りにはかなりユニークな人間が集まっている。熊野的人間というのは、その多くが熊野に惹かれてやって来る他所者だ。そんなわけで、我が家にも、田舎探しをしている見ず知らずの人がふらっとやって来ることがある。うちの噂を聞いた、とか、わざわざ近所の人が、私と話しが合いそうだと判断してつれて来たりする。大体アクの強い、田舎の人間社会に受け入れられそうにないタイプの人たちだ(だからこそうちに来るのだが)。話してみると確かに考え方は近いし、とても真摯な社会的意識も持ち合わせているのだが、どうも何かがおかしい。今の私たちの波長とピッタリと来ない。そうだ、彼らは「まだ」都会に住んでいる人々なのだ。いや待てよ、何だ、彼らは4年前の私自身なのではないか、と最近思えるようになった。

 「狂った」都会の空気を呼吸し、水を飲み、都会的刺激を不断に受けつつある身体と心で発想した理想は、やはりどこか歪んでいる。山の清冽な水と空気、健康な食物、目に見える木々の緑や、鳥の声、せせらぎの音、有形無形の様々な外界の刺激が時々刻々、私の身体と脳細胞を更新するうちに、私の描いていた理想も徐々に変質しつつある。社会を変革するのではなく、まず、自分と家族の中に安心立命を確立することだ。その後に主義主張ではなく、心で通じ合える同士とともに小さな社会が生まれて行くのではないか。

 もっとも私は未だに、私個人がエキセントリックに映ることにいささかの抵抗も恥じらいもない。ただそれによって私の理想が正しく伝わらないのは損失だし、やがて必ず来るべき「私たち」の未来が遠のいてしまっては誠につまらない。

 話しは変わるが、引っ越して2年ほど経った頃、長塚節の『土』を読んだ。東京を離れる前に、もう一生使わないだろう専門書の類いを処分しようと入った古本屋で出会ったのだが、それはあたかも、これから土とともに生きることを決めた心にはおあつらえ向きのタイトルだった。

 冒頭こんな場面がある。妻お品の病気と聞いて、出稼ぎ先から飛んで帰る極貧の百姓勘次は途中土浦の町で鰯を一包み買って帰る。まだ歳端も行かぬ娘が火鉢に火を起こし、勘次は3匹ばかりの鰯を乗せて焼く。

「どうして塩辛かぁあんめえ」

「さすが佳味(うめ)えな」

 お品は2匹食べて娘を気遣う。残りの1匹を娘が食べ、勘次も一口食べる。

「こりゃ佳味えこたあ佳味えがあんまりあまくっておれがにゃ胸が悪くなるようだな」

 この部分を読んだ時、これまでの我が身の農的生活の体験やら何やらと相まって心が震えたものだが、この感動的なホームドラマとは別な意味でも味わい深いものがある。北関東の内陸部に住む勘次らにとって魚といえば、遠く海辺の町から運んで来る塩漬けか、干物で、生(あるいは一夜干しか)の鰯など滅多に食べられない。しかも彼らは日常的にはほぼ菜食で、庭先の鶏卵でさえ、手をつけずに全て商人に売り渡してしまう。その辺が「さすが佳味えな」の動機となっているが、分かりにくいのは、勘次の「あんまりあまくっておれがにゃ胸が悪くなるようだな」というくだりだ。なるほど地元で手に入る塩のきつい魚と比べれば「あまくって」は理解できる。が、「胸が悪くなるよう」な感覚というのは想像がつかない。そんな時、たまたま妻が鯖の味噌煮風の汁を作った。うちでは料理に一切砂糖は使わない。だが、食べてみると口の中一面に味がまとわりつくようで、勘次の味覚そのままに体験したのである。「甘さ」にもいろいろある。糖質の甘さ、アミノ酸の甘さ、鉄分などミネラルの甘さ。勘次の舌は普段味わったことのない強烈なアミノ酸の刺激と生々しい動物性脂肪に耐えられなかったのだ。我が家では結婚当初に玄米食を採用したのだが、田舎暮らしを始めてからは動物性食品もやめていたので、味覚が先鋭化していて、久しぶりに食べた鯖にビックリしてしまったのだ。私はこの極貧の百姓の味覚を獲得できたことを知って狂喜した。なぜなら、私は勘次が羨ましくて仕方がないのだ。

 夏目漱石は『土』の序文の中で、「編中の人物の心なり行いなりが、ただ圧迫と不安と苦痛を読者に与えるだけ」だとか、娘が年頃になった時、この『土』を「面白いから読めというのではない。苦しいから読めというのだと告げたい」などと書いているが、これは全くとんちんかんな書評だ。私にとっては、こんなにもキラキラと輝かしい小説はない。その文章のどのディテイルにも大気自然の霊が宿っている。鬼怒川畔に展開する自然の生々流転の諸相とともに、そこに繰り広げられる人間のドラマも全く自然の生々流転の中へ吸収され、一幅の細密画となって、もはや悲惨さも、善悪も、美醜も遠い彼岸へと退き、ただ大いなる自然の強さ、繊細さ、確かさの滔々たる流れに圧倒されつつ眺めるだけなのだ。

 今私は、暖かい家や、軽くて軟らかい羽毛の寝具ではなく、真冬にすき間風の吹き抜けるあばら家に薄いせんべい布団一枚で平気で寝られる強靭な肉体が欲しい。カジュアルで機能的な作業着よりも、真夏にフンドシ一丁で野良に出られる分厚い皮膚と美しい肉体が欲しい。そのような意味で私は勘次の強さが羨ましくてたまらない。だから、味覚だけでも勘次に迫れたことがこの上も無く嬉しかったのだ。

 私はストイックでも、マゾヒスティックな人間でもない(つもりだ)。玄米に豆や雑穀を混ぜたご飯にごま塩、それに具沢山の野菜の味噌汁。それだけで心底旨いのだ。そんな日常があってまれに川でウナギなんか掛かった日にゃあ、それこそ盆と正月だ。幸福に金はいらない。

 幸福を感じられない方、もっと幸福になりたい方は、是非騙されてと思って玄米を食べてみて下さい。それだけでもう幸福行きのレールに乗ったも同然だ。やがてあなたは、味覚が研ぎ澄まされ、あらゆる本物と偽物の区別がつく自分を発見するだろう。その結果、友だちや、周囲の人々と意識が大幅にずれてエキセントリックな人間になりつつあるのを感じたら、迷わず田舎に来て下さい。自然は、そして土はきっと全てのバランスを整えてくれるだろうから。そして、刷新された身体と脳細胞で、私たちの明日をともに考え、創って行こうではないか。

(The Other Side 共同探求通信20号 2002.8.25 所収)

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